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こうじ探求人の学び日記 その1

CRAFT NATURE

こうじ探求人の学び日記 その1

■はじめに
 私が微生物という存在を認識して、親しみをもって接するようになってから、はや30年が経とうとしています。大学時代は、微生物学を専攻しており、乳酸菌にもっと人の役に立ってもらえるように、遺伝子レベルでの研究を行っていました。
 当時は、バイオテクノロジーという言葉がもてはやされていた時代でしたが、遺伝子配列の決定には莫大なお金と時間がかかっており、ヒトのすべての遺伝子情報を解析するというのは夢のような話でした。それが今や、たった1日で何百人分の遺伝子を読み込むことができるようになっています。この技術進歩のスピードには驚かされますし、今後どのように技術が発展していくのかということには好奇心を刺激されます。
 最近、この技術進歩のゆくえと同じくらい私が興味をそそられているのが、過去に行われた技能や技術の掘起こし、即ち、技術に関する歴史や文化を振り返るということです。酒類業界に勤めて23年目の私が、改めて、麹や発酵の歴史や文化について学びなおしていることをいくつかご紹介いたします。


■「蘖」という漢字
 麹や発酵の歴史についての学習を進めるにあたって、まず苦労するのが、昔の書籍はこれまで目にしたことのないような漢字がいくつも出てきて、それらに全くルビが振られていないことです。あたかも漢文を読んでいる気分になります。その中でも、「蘖」という漢字は全く見当がつかない文字の一つでした。インターネット等を駆使して調べてみると、この漢字は『ひこばえ』と読むことが分かり、草や木の切り株から生え出た芽を指す言葉であるということが分かりました。


【剪定後の枝から新芽が芽吹く姿】

 この刹那に、忘れかけていた記憶が不意によみがえりました。この切り株から芽が生える様子が、麹菌が発芽して、分生子(胞子)を形成する様子と似ているので、昔の人はこうじのことを蘖(ひこばえ)と呼び、また蘖という漢字に『よねのもやし』という読み仮名もあてたということを、10年以上前に私がお世話になっている秋田今野商店の今野宏社長より教えてもらったことを思い出しました。
 『よねのもやし』の“よね”とは米のことで、“もやし”とは麹(糀)のことを指します。つまり、よねのもやしとは米の麹(糀)です。この件は、以前学んだことや、昔の事柄を今また調べなおしたり考えなおしたりして、新たに新しい知識を探り当てたという「温故(古)知新」という言葉を身をもって体験した一件でした。


【分生子を形成した麹菌】


■麹菌と椿の灰
 先日、蒸留所放浪記にも記されている三和酒類壱號蔵焼酎道場体験に参加しました。
 この道場体験の中で酒造りの技能・技術・歴史・文化に関する講話があるのですが、我々のグループは、麹文化がどのように日本に伝来したのかを探るというテーマでした。
 西洋のお酒づくりでは、原料として酵素を含んだ麦芽が使われるのに対して、東洋のお酒では、麦芽の代わりに微生物の酵素を含んだこうじが利用されるということは皆さんもご存知と思います。このように東アジア周辺では、酒造りに微生物を用いることが共通の技術であり、かつ現在の日本の技術や文化のほとんどが中国をはじめとする大陸から伝来していることを鑑みると、“こうじ”の大元の技術は太古に大陸から伝来したことが推察できるという話でした。

 ただ、現在の中国大陸での酒造りに使われる微生物はクモノスカビ(リゾプス属)やケカビ(ムコール属)と呼ばれるもので、形状も原料の穀類を粉状にしたものを団子状やレンガ状に練り固めた餅麹と呼ばれるものなのですが、日本では麹菌と呼ばれるアスペルギルス属の微生物が使用され、形状もばら麹と呼ばれる粒状の形態です。つまり、大陸から伝わった“こうじの技術”は日本の風土や食文化に合わせた形で、独自の発展を遂げたことが推察されるということでした。

 講話を聞いた後、「大陸から伝来したこうじに関する技術は日本でどのような独自発展を遂げたのか・・?」ということが無性に気になりました。そこで、「和食とうま味のミステリー・国産麹菌オリゼがつむぐ千年の物語(河出ブックス)」を読んでみました。同書の中で、著者の東京大学名誉教授北本勝ひこ先生は、麹菌を家畜化された微生物(家菌)であると位置づけています。これは、長い年月をかけて美味しくないものや毒を生産するなど人間にとって都合の悪いものは捨て、都合の良いものだけを選択して残すという作業を繰り返した結果、当初の麹菌とは比べ物にならないほど性能の良い、人間が使いやすい麹菌が出来上がったからであるとしています。

【和食とうま味のミステリー 国産麹菌オリゼがつむぐ千年の物語】 河出ブックス

 この家菌化に至る過程では、様々な人の知恵や工夫が活かされたようです。例えば、自然界から良い麹菌を選び出す段階で、米に木灰を振りかけておくと、余計な微生物の生育が抑制されて、麹菌のみを優先的に選択できるということでした。特に、椿の灰が効果的ということです。お米に灰をまぶして、糀の花を咲かせるというこの奇想天外ともいえる着想はどこから生まれたのでしょうか?昔話の花咲か爺さんなのでしょうか?不思議なことです。


 日本で独自の進化を遂げて家菌化された麹菌は、今や、日本の国菌と位置付けられており、醤油や味噌、清酒、焼酎、甘酒などという形で我々の日々の食卓を豊かにしてくれています。


  • 林 圭

    三和酒類株式会社 / 三和研究所 所長

    1972年、芋焼酎のメッカの鹿児島県で生まれる。
    九州大学農学部修了後、三和酒類株式会社に入社。
    研究所でキャリアをスタートした後、様々な部署を経験し、
    一昨年に三和研究所に戻る。
    社外活動として、醸造学会若手の会運営委員長ののちに、
    現在は日本生物工学会の理事を務める。
    50年代のジャズとNFL観戦を好む。