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こうじ探求人の学び日記 その3 ~「民族の主食」と「お酒のつくり方」との関係~

CULTURE

こうじ探求人の学び日記 その3 ~「民族の主食」と「お酒のつくり方」との関係~

■こっそり実験が学会誌の記事に
 今から十数年前の話。現日本醸造協会の会長である岡崎直人先生から、ちょっとした実験をお願いしたいというお話がありました。当時、岡崎先生は三和酒類の顧問を務められておられましたが、その前職の国税庁醸造研究所(現酒類総合研究所)にご勤務の時代から私は先生のご指導を頂いておりましたのでお声がかかったのでしょう。

 当時、私は研究所とは違う部門に所属しておりましたので(今だから言えることですが)、密かに研究所に所属していた若手研究者に声をかけて、こっそり実験をしてもらうことになりました。実験の内容は、生のトウモロコシと、蒸したトウモロコシを準備して、それぞれに黄麹菌とクモノスカビを植え付けて、数日間観察し、それぞれがどのようになるかを確認するというものでした。結果は、生のトウモロコシでは、クモノスカビのほうが明らかに良好に生育しました。逆に、蒸したトウモロコシでは、黄麹菌が良好に生育するのに対して、クモノスカビは殆ど生育が見られませんでした。
 蒸した穀物では、タンパク質が熱で変性して分解酵素の作用を受けにくくなるので、タンパク質分解酵素が弱いクモノスカビは増殖が遅くなるということは知識として持っていましたが、ここまで目に見えて生育が変わるというのは驚きでした。
 この実験結果よりも驚いたのが、隠密に進めた実験の結果や写真を、岡崎先生が「醸造協会誌」の記事に掲載してくれたことでした。しかも、ご丁寧に私と若手研究員の名前を謝辞に記載していただきました。当時の研究所の上席が、非常に心が広い方だったのか、(はたまた醸造協会誌に目を通していなかったのか)、部下に仕事をお願いした件についてお叱りを受けることはありませんでしたが、肝を冷やした一件でした。これ以降、他部門メンバーにお願いをする際には、その上席の確認をしっかりと取るように心がけています。


 
【日本醸造協会誌(醸造協会HP  http://www.jozo.or.jp/より)】


■酒の博士曰く、各民族の酒やその製法は、主食や主食の加工法と一致する
 前述した、岡崎先生の記事「日本・中国・東南アジアの伝統的酒類と麹(日本醸造協会誌第104巻第12号〔2009〕)」では、推察の域を出ない部分もあるとしながらも、散麹(ばらこうじ)と餅麹(もちこうじ)の起源について述べられています。即ち、日本では、弥生時代以降、米を主食とし、蒸すか煮るなどして粒で食べる文化が発達したため、それを放置すれば、自然に麹カビが生育し、その結果として麹カビを主体とする散麹が誕生したとしています。
 一方で、中国北部では麦類が主食であり、その麦は昔の技術では粒食で食べづらかったため、粉砕してから種皮等を除いた粉に加水し、団子、餅、煎餅や麺に成型した後に、煮炊きして食べる粉食文化が発達したとしています。この餅を保管している際に生の原料と相性の良いクモノスカビなどが生育して餅麹が誕生したとしています。酒の博士といわれる坂口謹一郎先生も、生前に述べられておられたように、各民族の酒やその製法は、その民族の主食や主食の加工法(即ち、食文化)と一致する形で発展したようです。


■西洋では粉文化と粒文化が混在?
 坂口先生の論説は西洋(欧州)にもあてはまるのでしょうか。西洋の主食は麦類を原料としたものが多く、パン、パスタなどにみられるように粉食の文化が主流です。欧州でよく飲まれるウイスキーやビールなどのお酒は麦類が原料なので、酒の原料と主食が一致するという坂口先生の説通りです。(ワインやシードル、ブランデーなどは果実が原料ですが、これも欧州のデザートという食文化に起因しているのではないでしょうか)
 ただ、欧州のお酒では、坂口先生が書かれていたお酒の製法と主食の加工法とは必ずしも一致していないように思われます。即ち、ウイスキーやビールの製造時に原料として用いられる麦芽は、粉状ではなく粒状の形をしています。
 この矛盾を解き明かすには、麦芽の役割に立ち戻る必要がありそうです。学び日記のその1にも記しましたように、東洋のお酒では、原料として微生物の酵素を含んだこうじが利用されるのに対して、西洋のお酒づくりでは、こうじの代わりに酵素を含んだ麦芽が使われています。
 この麦芽に含まれる酵素の主体は、アミラーゼという酵素であり、根や芽、葉ができて、土中からの養分吸収や光合成によるエネルギー合成が出来るようになるまでの期間に、麦自身が生命活動を維持して 成長(発芽)するために、種の中に貯蔵されているデンプン(エネルギー補給源)を分解して、エネルギー源となる糖類を生成するという役割を担っています。この糖類は、グローバルスタンダードなエネルギー源で、ヒトや酵母を含めた幅広い生命体が利用していることは、皆さんもご存知のことと思います。
 麦などの穀類を粉状にすりつぶすということは、別の見方をすると植物個体としての生命活動を止めることですから、生きていれば、胚などの器官で盛んに生産されるはずであったアミラーゼなどの酵素が生産されにくくなります。つまり、デンプンの糖類への分解は抑止されます。
 古の西洋人は、発芽状態にある麦類を酒の原料として使用すると、アルコール発酵の担い手である酵母のエネルギー源となる糖類が迅速かつ安定的に供給されるため、うまい酒がつくれることを経験的に知ったのではないでしょうか。よって、収穫できた麦類の大部分については主食用として粉状にする一方で、一部を粒状のままで残しておき、その酵素をうまい酒づくりに活用するために、麦芽という形で残しておいたことが推察されます。
このようにして、西洋においては、酒の原料は主食と一致しますが、その製法は主食に見られる粉末加工するのではなく、粒状の麦芽を用いるという文化が形成されたというのが私の考察です。
 


【麦芽の中にはアミラーゼがつまっている】

 世界史年表を紐解いてみると、欧州・中東で栄えた文明のほうが、中国の文明よりも歴史は古く、上記のような流れで考察を試みるのはおかしいという意見もあるかもしれません。
 また、古代エジプトでのビールづくりは、パンを原料に行われていた(つまり、粉食文化を反映していた)という説もあります。ただ、数千年昔のことについては、誰も正解を知ることはできないですし、地域や時代によっては、主流とは異なる酒造りが行われていたというのも事実であると思います。いずれにせよ、古の方々がつくりあげた歴史や文化に思いを馳せ、今後の発展に活かすと同時に、その英知に敬意を払い、感謝の気持ちを持ち続けることが大切であると感じています。

  • 林 圭

    三和酒類株式会社 / 三和研究所 所長

    1972年、芋焼酎のメッカの鹿児島県で生まれる。
    九州大学農学部修了後、三和酒類株式会社に入社。
    研究所でキャリアをスタートした後、様々な部署を経験し、
    一昨年に三和研究所に戻る。
    社外活動として、醸造学会若手の会運営委員長ののちに、
    現在は日本生物工学会の理事を務める。
    50年代のジャズとNFL観戦を好む。