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こうじ探求人の学び日記 その6 ~変えてはいけないもの~

CULTURE

こうじ探求人の学び日記 その6 ~変えてはいけないもの~

■山の事は樵夫(きこり)に聞け
 10年ほど昔、京都に旅に出ました。2泊3日の行程で、東寺、二条城、霊山護国神社(坂本龍馬の墓がある神社)、平安神宮、北野天満宮などメジャーな観光名所を巡ったのですが、中日の1日は、知る人ぞ知る穴場スポットを訪れると心に決めた旅でした。
「山の事は樵夫に聞け」ということわざもあるように、京都のことは京都在住の方に聞くのがいいと思い、醸造学会の学会運営活動を通じて知り合った京都大学教授に相談したところ、「微生物を扱う者ならば、曼殊院を一度訪れるべし」というアドバイスを頂きました。

 曼殊院は、京都市左京区一乗寺にある仏教寺院で、国宝である「黄不動画像」や「幽霊画」、「曼殊院本古今和歌集」をはじめとする、多くの文化財を有しています。私が訪れたのは秋でしたので、枯山水庭園の白砂と苔の緑、深紅に染まった椛(もみじ)のコントラストが鮮やかで、その圧倒的な美しさは、今でも目に焼き付いています。日に恵まれたのか、同日は観光のお客様もほとんどおらず、庭園横の縁側で緩やかに流れる刻をすごし、心を洗濯することができました。

 ただ、実は曼殊院を訪れたメインの目的は、国宝級の御宝や自然の美しさを満喫することではなく、曼殊院にある微生物の供養塚である「菌塚」をお参りすることでした。
 菌塚については、発酵仮面として知られる小泉武夫先生の著書「発酵 ミクロの巨人たちの神秘(中公新書)」のあとがきにて触れられており、「(菌塚は)いわば世界に一つしかない微生物の墓標と考えてよい。発酵文化は目に見えぬ無数億のおびただしい微生物の犠牲により維持されているが、多くの人間はこれだけ素晴らしい恩恵を受けているのに、有用微生物に対して意外に無関心である。これを反省して、菌の尊さを讃えようと昭和56年に、(元大和化成株式会社取締役社長の笠坊武夫氏を中心とする)わが国の発酵学者有志の手によって建立された。」という旨が記されています。


 
【写真:小泉武夫著 発酵 中公新書】

 この小泉先生の著書である「発酵」については、私は入社して間もない2000年頃に読みました。この本を通じて、日本人は古より、産まれ育った風土や環境に固有に存在している自然の恵みを、微生物というミクロの巨人たちの神秘の力を巧みに活用して(即ち、発酵の技能や技術を活かして)、地域特有の食文化を形成してきたということを知りました。この「自然の恵み」、「地域ごとの多様な特性」、「日本の文化や歴史」、「人の知恵や創意工夫の力」というのもが一体となり、日本人の血や肉、そして精神(アイデンティティー)が形成されてきたことを学んだことを覚えています。
 同時に、菌塚のエピソードなどから、自分たちの暮らしを支えてくれる(自分たちを生かしてくれている)自然の恵みに感謝の気持ちを込めて、それを神格化して崇めるという日本人独特の感性に感銘を受けたことを覚えています。微生物の研究について大志を抱き、いつの日かノーベル賞クラスの成果をあげたいと燃えていた、若く青かった日の私は、近い将来に菌塚をお参り(願掛け)しようと心に誓っておりました。
しかし、ヒトの脳というのは忘れるようにできているようで、慌ただしい日々の業務に追われる中で、その感銘は次第に薄れ、菌塚へのお参りの誓いも、いつしか私の脳の奥の奥に収納されていました。
ですから、京都大学の教授から曼殊院に行くべしというアドバイスを頂いた際にも、最初はピンと来ていませんでした。しかし、「菌塚」の名称が出た際に、奥にしまい込まれていた記憶がパッとよみがえりました。まさに、アハ体験のような感覚でした。

 そのような経緯をもって、約10年前に曼殊院を訪れるという流れとなりました。菌塚を実際に訪問した際には、菌塚に手を合わせて、私の仕事であるうまい酒や体に良い食品づくりを日々支えてくれている、麹菌や酵母、乳酸菌などの微生物に対して感謝と供養の気持ちを伝えました。さすがに入社後十数年の社会経験を経て、世の中のことや自分のレベルを把握できるようになっていた時期でしたので、若く青き日に抱いていた「微生物の皆さん、私がノーベル賞を取れるように研究に協力してください」という自分本位なお願いは封印しました。
前述の教授によると、日本の名だたる製薬メーカーや発酵食品メーカーのトップが、この菌塚にお忍びでお参りに来ているそうです。実際に、菌塚をお参りする際に記帳をする台帳には、私の名を記す際に一見しただけですが、一流の科学者や企業のトップの名前が記されていました。
大きな成功をおさめる人は、能力が優れており、努力を惜しまず、機会に恵まれていることなどが要素としてあるのでしょうが、あらゆるものに対する「感謝の心」、「おかげさまでの気持ち」というものがベースにあるからこそ様々な機運を呼び込めるということを学んだ一件でした。


■時の過ぎゆくのが緩やかな場所
 曼殊院や菌塚も大変印象深かったのですが、もう1つ強く印象に残っているのが、曼殊院を含む周辺の地域の穏やかで荘厳な雰囲気です。私は、生まれつき霊感というものに乏しいようで、実際に何かが見えたことや感じたことはほとんどありません。その私でも、この木々に囲まれた一帯には、草木の精霊、水の精霊、そして少し前に私がお参りをした微生物の精霊などが宿っているのであろうと想像できるような空気感がありました。また、時間の流れもゆるやかに進んでいる感じを受けました。
 そこに、武田薬品工業の京都薬用植物園があります。同園は武田薬品がこれまで培ってきた植物の栽培技術を継承するとともに、絶滅危惧種を含む重要な薬用・有用植物資源の収集・保全をヴィジョンとしているようです。まさに、絶えようとしている命を、精霊の加護の下で、蘇らせている場所であると感じました。比叡山の南西麓に位置するこの一帯には、曼殊院や京都薬用植物園のほかにも、日本における文化的資産や自然科学の重要資産がいくつもあるようです。

 世の中は今、あらゆることに関して変化のスピードが一段と加速しています。変化に対応するためには、常に「変えるべきもの」について迅速に対応していく必要があります。実はそれと同じくらい、「変えてはいけないもの(普遍的な価値)」をしっかりと見極めて、次世代に繋げていくことも大切です。
変化への対応に忙殺されると、人は近視眼的になり、変えてはいけないものが何であるかを見失いがちです。そうして、我々の祖先が長い年月をかけてつくり上げてくれた日本の文化、伝統的な工芸技能や技術、地域ごとの多様な特性、自然との共存の形などの「変えてはいけないもの」が失われてきたと思います。
曼殊院一帯の、時間の流れが緩やかなエリアは、我々の祖先が長い年月をかけてつくり上げてくれた「変えてはいけないもの」を守り続け、次世代に繋げていくための場所として最適であると感じました。
我々人間もふと立ち止まり、俯瞰的視点からものごとを考える時間を意図的に設けなければならないと思います。曼殊院一帯に広がる風景や空気感は、我々現代人が日々の喧騒から離れ、瞑想にふける場所としても最適であると感じました。

 最後に、前述の菌塚に関しては専用のホームページが設けられています。
「菌塚のホームページ」:http://kinduka.main.jp/
 同HPによると、菌塚の墓標の題字は学び日記その3でご紹介した酒の博士である坂口謹一郎先生が揮毫(きごう)されたそうです。
 同時に坂口先生は短歌も残されておられますので、今回はその歌で締めたいと思います。

 めにみえぬ ちいさきいのち いとほしみ みてらにのこす とわのいしぶみ 

(上記ホームページより引用)

  • 林 圭

    三和酒類株式会社 / 三和研究所 所長

    1972年、芋焼酎のメッカの鹿児島県で生まれる。
    九州大学農学部修了後、三和酒類株式会社に入社。
    研究所でキャリアをスタートした後、様々な部署を経験し、
    一昨年に三和研究所に戻る。
    社外活動として、醸造学会若手の会運営委員長ののちに、
    現在は日本生物工学会の理事を務める。
    50年代のジャズとNFL観戦を好む。