記事Article

CRAFT ~院内町の石橋群について~

CRAFT REGION

CRAFT ~院内町の石橋群について~

 皆さん、こんにちは。こうじらぼです。大分県が誇る“石の文化”をご存知でしょうか。磨崖仏(まがいぶつ:岩壁に彫刻された仏像)の数は全国の7、8割を占めており(※1)、中でも平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻された「臼杵石仏」は国宝に指定されています。他にも国東半島を中心に分布する石塔「国東塔」、禅海和尚(と石工集団)が30年かけて掘り抜いた「青の洞門」、日本新三景である「耶馬渓の奇岩連なる絶景」など、石造文化財や名所が数多くあり、大分県は石と共に栄えてきた地域であると言えます。そして、忘れてはならないのが石橋。現存する石橋(石造アーチ橋)の数は大分県が日本最多の498基(※2)を誇り、そのうちの約1割が宇佐市院内町に集中しています。今回はこの大分県の“石の文化”から院内町の石橋群にまつわる話をご紹介いたします。少々長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。それではどうぞ。

※石橋は形状で「石造アーチ橋」と「桁橋」に分けることができますが、次章の「石橋の歴史」以外で記載する石橋とは「石造アーチ橋」のことを指します。


■石橋の歴史

 石橋の歴史は古く、エジプト・メソポタミア・インド・中国北部で四大文明ができあがった頃の今から約5000~6000年前に登場したと考えられています(※3)。その後、紀元前一世紀頃のローマに登場したのが「石造アーチ橋」。石の引っ張りや曲げに弱く、圧縮に強いという特徴を生かし、圧縮の重みを両岸に伝えるのが「石造アーチ橋」です(※4)。この技術がローマ帝国の欧州制覇につれて各国に広まり、長い年月をかけて中国にまで広まりました(※5)。

 日本へその技術が伝来したのは14世紀頃、中国から沖縄(琉球王国)に伝わったのが最初と言われており、現存最古の石造アーチ橋と言われる「天女橋」は1502年に架けられました。本格的に広まる要因となったのは、17世紀の江戸初期。1634年に中国から渡来して興福寺2代目の住職となった唐僧の如定(にょじょう)が長崎に架けた「眼鏡橋」からとされています。この中国の技術に加えて、オランダ人から修得した技術が加わり、九州一円に広まりました。

 また、全国の石橋の数に関しては書籍や時代によって異なりますが、『日本の石橋を守る会』のホームページによると、現存するものは1,990基(令和3年7月現在)あり、そのうちの1,782基(90%)ほどが九州に、その中でも大分県は全国最多の498基と特に多いことが記されています。この状況からわかるように、九州に伝来した石造アーチ橋の技術は、主に九州内で発達・使用されました。ではなぜ九州では多くの石造アーチ橋が架設されたのでしょうか。それは、九州は山が多くて急流という特殊な地形であり、それに起因して頻発する梅雨や台風時期の「洪水」でも流されない頑丈な橋が必要であったのです(※5)。当時(江戸時代)、険しい道を越えて年貢を運ぶ農民にとって、頑丈な橋の存在は命に関わる重要な建造物でした。

 余談ですが、彼の有名な「石橋を叩いて渡る」という諺は江戸後期の諺語辞典「譬喩尽(たとえづくし)」に記載があるそうです(※6)。諺として定着するほど、江戸期の生活の一部になっていたことがわかります。


■「日本一の石橋のまち」院内町

 前述したように大分県には498基の石橋が現存しますが、そのうち64基(※7)が宇佐市院内町に集中しています。この数は県内でも最多であり、院内町が「日本一の石橋のまち」と言われる所以でもあります。では、なぜこのように石橋の数が多いのでしょうか。いくつか理由がありますので、順番にご紹介致します。

 院内町は深い山間に位置する町で、その間を流れる恵良川は切り立ったV字の深い渓谷を流れています。川幅が狭く流れが速いこの川は、木造の橋では増水時の激しい水流に耐えることができません。渓谷に点在する集落を行き来するには、頑丈な橋が必要不可欠でした。加えて院内町特有の理由ですが、この町は陸軍の小倉駐屯地(福岡県北九州市)と日出生台演習場(大分県玖珠町ほか)を結ぶ動線上にあり、銃火砲などの武器を運ぶためにも、それらの重さに耐えうる橋が必要だったそうです(※8)。


 

【渓谷を流れる恵良川】


 また、地形と地質が阿蘇山系によって形成されている院内町は、石橋の材料となる溶結凝灰岩が豊富に採石できます。また近い場所に採石場があり、運搬・架設に非常に便利でした。そして優れた石工が大勢いたことも大きな要因でした。院内町は渓谷が多く平地が少ないため、傾斜地に棚田を造成して稲作を営んできました。石を加工して灌漑用の石垣や水路を築く巧の技術は石橋の架設にも役に立ったのです。その石工の中でも「石橋王」とも呼ばれた松田新之助は「鳥居橋」など14基の石橋を架設し、院内町の人々の生活を大いに助けました。次章ではこの松田新之助の功績をご紹介致します。

 

【院内町の両合棚田と両合川橋】


■「石橋王」松田新之助

 松田新之助は、松田元平の長男として、院内町景平で1867年(慶応3年)10月11日に生まれました(※9)。十六歳のときに村惣代や戸長をしていた父に伴われて関西に出向き、最新の土木技術を学びました。さらに、関東や東北でも技術を磨いたといわれています(※10)。1897年(明治30年)に帰郷してからは石橋の架設に情熱を注ぎました。取り分け有名なのは、1916年(大正5年)に架けられた香下地区と新洞地区を結ぶ「鳥居橋」です。スラッとした細い橋脚から別名「石橋の貴婦人」とも呼ばれており、県指定有形文化財にも登録されています。1951年の「ルース台風(台風15号)」では、川の水位が12メートルを超えて氾濫し、町内242戸が全壊するという大水害となりましたが、「鳥居橋」はびくともせず残りました。川底の地盤や水流の特徴を十分に考慮した橋脚が功を奏したのだといわれています(※11)。このように松田新之助が手掛けた石橋は頑丈で、多くの災害を乗り越えて現在(2021年6月)でも11基が残っています。

 

【「石橋の貴婦人」とも呼ばれる鳥居橋】


■石工の信念とプライド

 その「石橋王」にも大きな試練が訪れます。1924年(大正13年)、架設中の「富士見橋」が轟音と共に崩れ落ちたのです。幸い昼休みだったこともあり、巻き込まれた石工はいませんでしたが、住民の期待を大きく裏切ることになりました。しかし、松田新之助は「富士見橋」を再び架設する決意をし、その費用を田畑や山などの私財をなげうって自ら工面しました。そして1925年(大正14年)、同時期に依頼を受けていた「御沓橋」と共に、「富士見橋」を見事完成させました。松田新之助の石工としての信念とプライドを垣間見たエピソードです。橋の架設は人命を預かる重大な仕事。「崩落でけが人や死者を出すことのないよう、完璧に仕上げなければならない」というその重圧は計り知れません。その重圧をはねのけ、14基もの石橋を架設して住民の期待に応えた松田新之助は、正に「石橋王」の称号に相応しい石工でした。

 松田新之助について詳しく知りたい方は、『宇佐学マンガシリーズ 石橋王と呼ばれた男 松田新之助―日本一の石橋の町が生んだ名棟梁 漫画 / 瀬井 恵介 編集 / 大分県宇佐市(㈱梓書院)』をおすすめします。巻末には歴史資料やコラムもありますので、院内町の石橋についての知識を深めることができるでしょう。

 

【富士見橋】


■CRAFT

 このように古代から人々の生活を支えてきた石橋ですが、架設技術や材質の向上と共にコンクリートの橋などに変遷してきました。また、高度経済成長期になると取り壊される石橋も増え、役目を終えた不要物のように扱われるようになりました。しかし、「石橋は生きている」の著者山口祐造氏や石橋を愛する方々の啓発活動もあり、その後は有形文化財として保存される動きも出てきました。その山口氏は著書の中でこう語っています。


―― 私が主張する「石橋文化には技術の他に、石工達の命を賭けた真剣な努力があることを明らかにし、廃道で草木に覆われる石橋にも、石工の魂が籠っている」ことをこの中で訴えたいと思う。

石橋は生きている 著者 / 山口祐造(葦書房)より引用


 古代から架設されてきた全ての石橋には石工の魂が籠っており、その魂も橋を支えている一つの重要な要素であるとは言えないでしょうか。石橋は同じ石造物でも権力者の墓とは違い、その多くは人々の生活に必要な交通基盤として架設されてきたものです。そこには、橋を必要とする人たちの願いと石工の努力、情熱、信念、誇りなどの想いが詰まった魂があります。KOJI SPIRIT.comのSPIRIT(魂)とは、このような「過去から受け継がれてきた人々の想い」のことです。そしてこのサイトの“CRAFT”は、単に「工芸品」や「手作業でつくったもの」を意味するのではなく、「作り手の魂が籠ったもの」を意味します。それは建造物や工芸品に限らず、農作物や料理、麹や発酵食品など、人が関わって今日まで受け継がれてきた、創意工夫を重ねてきたモノの全てなのです。この“CRAFT”の意味を教えてくれたのが院内町の石橋群でした。


■さいごに

 今は使われなくなった石橋もたくさんありますが、それらは周りの風景に溶け込み、町の景観の一部として、歴史や石工の想いを伝える語り部として静かに佇んでいます。皆さんが石橋を見掛けたときに、そこに籠った魂に思いを巡らせることがあれば、その石橋はまだ役目を終えてはいないのです。


おわり


【参考文献・サイト】

※1 おおいた遺産 / 文化庁 / 石の文化

※2 日本の石橋を守る会 /  日本のめがね橋(都道府県別一覧)

※3 あんな形 こんな役割 橋の大解剖 / 監修 五十畑 弘(岩崎書店)

※4 アーチ式石橋の架け方 / 熊本国府高等学校パソコン同好会 石橋の造り方 

※5 石橋は生きている 著者 / 山口祐造(葦書房)

※6 コトバンク /  石橋を叩いて渡るとは - コトバンク 

※7 宇佐市公式観光サイト /  院内町石橋群 / 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト

※8 院内の石橋物語 著者 / 向野 茂

※9 宇佐市公式観光サイト /  松田新之助/宇佐市 

※10 宇佐学マンガシリーズ③ 石橋王と呼ばれた男 松田新之助 日本一の石橋の町が生んだ名棟梁 漫画 / 瀬井 恵介 編集 / 大分県宇佐市(㈱梓書院)

※11 大分県院内町の石橋群 二神健次 / 建設コンサルタンツ協会誌 Vol.219

12~14は本稿の全体にわたり参考にさせていただきました。

12 院内町の石橋 改訂版2 / 大分県院内町教育委員会

13 鹿島建設株式会社 /  建設博物誌 / 鹿島建設株式会社 

14 日本の木の橋・石の橋 歴史を語るふるさとの橋 著者 / 村瀬佐太美(山海堂)


  • こうじらぼ

    NIPPON KOJI SPIRITの管理人兼Twitterの中の人

    本サイトの管理人兼Twitterの中の人です。
    「麹」に関する情報をどんどん載せて参りますので、よろしくお願いします。
    Twitterアカウント:https://twitter.com/koji_laboratory